《前略 すっかり 秋らしくなりましたね。
こちらは 青空に毎日 赤とんぼの集団です。
林檎園の林檎も 毎日毎日 ずんずん 紅くなって行きます。
真理ちゃん、幸一君とも、林檎をもぎにいらっしゃい。
追伸 祥夫へ 恵子さんの気持ちも考えなさい。
祖父 正平 祖母 なみ より》
”祥夫”さんとは、お父さんの名前、”恵子”さんとは、お母さんの名前です。
夏休みが終わってから二週間程経った頃に、お父さんのお父さん、つまり、お祖父さんから、葉書が届きました。
お祖父さんとお祖母さんは、幸一君の家族が住んでいる街よりずっと北、冬には、すっぽり、街が白い雪にくるみ込まれる土地に住んでいるのです。
家族みんなで、大きな山をバックに、林檎園の広々とした情景を見、また、お祖父さんとお祖母さんのほこらしげに微笑む姿を見て、夕食の時間は、林檎園一色になったものです。
「“ふじ”。”ふじ”って言うんだよね。」
幸一君は、すっかり、行く気になって叫びました。図鑑で見た事のある、林檎の品種が、お祖父さんの農園には、今頃紅く色付いているのです。胸がどきどきして来ました。
「最近、”紅玉”も育てているんじゃなかったっけかな。」
お父さんも、唐揚げを箸でつまんで、口に運びながら、言いました。
“ふじ”は、大きくて立派で、”紅玉”は小さくて紅い。そして、ちょっとだけ、酸っぱいのです。林檎の酸っぱいのって、どんな味がするのでしょう?
「最近は、ブームなのですってね。”紅玉”は。お菓子に使うと良いのだし。」
お姉ちゃんのサラダに、ドレッシングをまわしてかけて上げながら、お母さんが言いました。
「あ。知ってる。アップル・パイとかでしょ?」
真理ちゃんが言いました。
「それから、ジャムとか。アップル・ティも。」
「焼き林檎、風邪をひいた時に、食べさせて上げなかったかしら?真理には。ねえ。お父さん?」
「すりおろしたのじゃなかったか?」
これはもしかしたら、と、幸一君は思った。ポニー・テールのお姉さんの林檎みたいに紅くなったほっぺを見るにつけ、両親は、本当に、連れて行ってくれるかも知れない、と。
しかし。
「仕事は休めないな。」
とお父さんは呟いたのです。
新聞の社会欄を読みながら。
「それに、ちょっと、急すぎる。申し訳ないが、お父さんには、冬休みまで待っていただこう。」
「それもそうね。」
お母さんまでが、そう言いました。
真理ちゃんが『えーっ。』と不満の声を上げるより早く、
「冬休みまで待っていたら、林檎が腐って落ちちゃうよ。」
幸一君は言いました。
「当たり前だろう。」
お父さんは言ったものです。プロ野球の記事を眺めながら。
何だか淋しくなった夕食の席を後に、食べ終わった幸一君は、いつものように、二階の自分の部屋へ上がって行きました。夏休みに買った新作ゲームを攻略する為でした。
無事に勇者が新しいアイテムを手に入れて、地図の有る洞窟へと入って行くと、不意に、ノックの音がします。
「どうぞ。」
ちら、とそちらを振り向いて声をかけると、ドアのノブを回しながら、真理ちゃんが入って来ました。幸一君は、一時停止を押しました。
「何だ、姉ちゃん?」
ゲームの画面からは、勇壮な音楽が流れて来ます。このイベントを上手くやりおおせれば、次の場面が楽になるのでした。クラスでも、この話で、持ち切りです。
「あのさ、幸一。」
真理ちゃんは、真剣な声で切り出しました。
「何?」
「お前だけでも行く?一人旅、してみたいでしょ?」
幸一君は考え込みました。神聖な剣を手に入れるための暗号より難しい問題のような気がして来ました。
「いいよ。行かない。」
「そう。」
何だか、もう返事は解っていたと言うように、真理ちゃんはうなずきました。
「解った。じゃね。」
真理ちゃんが部屋を出て行った後、幸一君は、もう一度、ゲームを開始しました。海が有って山が有って、荒野まである場所を旅する英雄は、魔女の呪いは跳ね返しても、林檎もぎは、今の処、しないようでした。
強い風、ぐらぐら揺れる窓。激しく叩き付ける雨は横殴りです。
台風がやって来ていました。
真理ちゃんや、幸一君の通っている学校はお休みです。
「いやあ、参った。」
午後早く、お父さんの帰宅して一番に口にした言葉がこれでした。
「お前、信じられるかい?今時、雨漏りだなんてさ。」
「まあ、あなた、どうしたの?」
お母さんは、慌ててバスタオルを持ち出して、お父さんを出迎えました。
「まああなたったら、まあ、とにかく、早く、お風呂に入ってちょうだい。風邪をひいてしまうわ。」
温かな夕食を食べた後に、お父さんが言いました。外は相変わらず強い風と雨です。
「こんな風の強い晩には、子供をさらいに来るって、子供の頃習ったっけ。」
「誰が?!」
幸一君は驚いてたずねました。
「何の為に?」
真理ちゃんも聞きました。
「<魔物>だってさ。」
お父さんは、懐かしそうに、目を細めました。
「子供をさらいに来る魔物?!」
幸一君は、目をむきました。向かいの席で真理ちゃんが首をすくめています。
「そうだよ。嘘をついたり、悪い事をしたりすると、その子供は鬼や魔物にさらわれてしまうんだ。」
お父さんは笑いながら言いました。
「さて。お父さんは眠くなっちゃった。お休み。」
欠伸をして、伸びをするお父さんを、子供達は、これまでとは違う目で見つめるのでした。やがて立ち上がって、寝室へ行こうとするところへ、
「あなた、この間の物件の事なんですけれど。」
お母さんが追い掛けて行きました。
「ねえ。」
と真理ちゃんが言いました。続けて、
「うち、社宅だけれど、社宅にも、鬼や魔物って、子供をさらいに来ると思う?!」
「知らない。」
幸一君は答えました。知るわけないでは、有りませんか。
朝の光が差し込む自分の部屋で、ぱっちり、幸一君は目を覚ましました。昨日の台風が嘘のように、良く晴れた良いお天気です。
台風一過、とは、この事を言うのでしょう。すると、
「きゃああああああああ。」
時ならぬ女性の悲鳴に、幸一君の家は、全員が全員、目を覚まされてしまったのです。
「あなた。あなた。大変。」
「何だ何だ、お前?!うわあああ!!」
何と言うことでしょう。お父さんまで大声を上げる騒ぎに、勇躍、幸一君は素早く窓を開けて、庭を見下ろしたのでした。
「何も見えないじゃないか。」
「まさか。」
隣の部屋の窓から続くベランダへ、真理ちゃんが、パジャマにカーディガン姿でお出ましです。やがて、
「ね。あれ、何だと思う?」
指差す彼方を見晴るかして、ようやく、幸一君は異変の正体を突き止めました。
「林檎?!」
「林檎みたいね。枝についたままの林檎の実。」
家族が集まって御飯を食べるダイニング・キッチンは、根元からぼっきり折れた感じの有る林檎の太い枝を囲んで、作戦司令室のようでした。
「これが、庭に落ちていたのかあ。」
幸一君は、溜息を付きました。
つやつやと光る紅い林檎をつけた枝は、良い匂いがしました。
「昨日の風で飛んで来た訳?!」
ほとほと呆れ果てたと言う風に、真理ちゃんが、林檎の実を指でつつきました。
「あ、食べられそう。」
「一番近い林檎園まで、十キロは有るのよ、信じられないわ。」
お母さんが言いました。なにやら林檎の枝を怖い物でも見るように、ちらちら見ています。
家族に囲まれて、お父さんはなにやら考え事をしていました。
そこへ、居間で電話が鳴る音がするのでした。お父さんが受話器を持ち上げます。
「あ、お父さん。ええ、誰も何も。無事ですよ。みんな。え、昨日はそちらも、強い風?!林檎園にも多少の被害。ほうほう。」
やがて、受話器を置いたお父さんは、家族全員を振り向いて言いました。
「これから、お父さんの家へ、災害見舞いに行きたいと思うんだが、お前達、どうする?!」
誰も、『行きたくない。』とは、言いませんでした。
幸一君は、お父さんの持って来た三脚付きカメラで、高い梯子の上で、自分が林檎をもいでいる所の写真を撮ってもらいました。
その写真を見る度に、ほれぼれと、とても、『良く撮れている。』と、自分でも、そう思うのでした。
お父さんが言うのです。
「いっそ、会社のお仕事なんか辞めて、皆で林檎園を継いでしまおうか。」と。
余り、冗談を言っている口ぶりには聞こえません。
にこにこと笑いながら、お母さんも言いました。
「真理と幸一が大きくなったら、この家も狭くなるし、お父さんと二人で新しい家を探そうかって、相談していた所なの。」
幸一君は、思いました。それも、良いのでは無いのだろうか、と。
傍らの真理ちゃんを見ると、にっこりと、微笑み返すのでした。
まるで、以心伝心、とでも言ったように。
林檎の匂いのする、家族団らんの夜は更けていくのでした。
* The End
PR