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6月の童話 =水色の傘の冒険=


雨が降り続けています。

 街は、長い梅雨の真っ只中にあるのでした。





「あら、これは、誰の傘なのかしら?」

 エリは自分の傘を気にしながら、腰を屈めて、濡れそぼった草の上に落ちた傘を拾いました。開いたまま、使う人も居ない、水色の傘が寂しそうに転がっています。

 尚も降り続ける雨の中、赤いレインコートを身につけたエリでした。

公園の、ミズナラやブナ森の中で、傘を拾ったのは、長い雨が降り始めて、三日目の事。

「まるで金魚鉢の中で暮らしているようだわ。」

 お母さんが冗談交じりに言うのを聞きながら、エリは窓辺に頬杖を就いて、深緑に濡れたお庭を飽きず、眺めていたものです。

 何もかもが雨に濡れています。椿の葉にびっしりとついた雨露さえもが緑の色。

 雨は濡らすのではなく、染め替えるのだと、そうエリは思いました。

開いたままで放り出された傘の色は水色。白い水玉が、とってもシックだと思いました。

「いくら、雨が続いていても、大事な傘を置いて行っては、可哀想だわ。」

 エリは十二歳。伯母さんの処へ、薬を届けに行く途中の出来事でした。伯母さんは長く続いた雨の為、体調をすっかり崩して、風邪をひいてしまったのです。公園の中を通る道は近道です。

 紫陽花の生垣に挟まれた細い道は、彼女のお気に入りでした。そこを、お気に入りのレインコートを着て、お気に入りの傘をさして歩くのです。 

 片手に傘を持ちながら、彼女は周囲を見回しました。公園の中は、ひっそりとしています。遠くを雨水を跳ね散らかしながら車の通る音がします。

 誰もいません。

「傘を忘れて、何処に行ってしまったのかしら?」

 いえ、そんな事より、その人は今、ずぶ濡れになってしまったのではないか。電話で聞いた伯母さんの声よりひどい嗄れ声になってしまっているのではないか。

 彼女はそれが心配でした。

 その時でした。

「えっ。今、何ていったの?」

 驚いて、彼女は周囲を見回しました。

「明日のお昼には止むって、何の事?誰が言ったの?」

 周囲は相変わらず、閑散としています。林の向こう側を、黄色い見慣れた傘をさした学校帰りの生徒が通りました。

「ああ、いけない。このまま此処にいたのでは、暗くなってしまう。」

 彼女は思いました。伯母さんも待っていることでしょう。

「伯母さんの家に着いたら、伝言があるのよね。」

 一つは、食事を作りに、今夜にでもエリのお母さん、伯母さんの弟の奥さんにあたります、が、行きたいと思っている事。もう一つは、看病の為に、泊まりに行くか、伯母さんをエリの家に呼びたいと思っている事。

 せめて、伯母さんの長期出張に行っている御主人の代わりに風邪の間だけは、お世話をしてあげたい、そう、エリの両親は思っているのです。

「お父さんやお母さんも心配しているわ。」

 水色の傘を、くるくると畳んで、ストラップ部分をナップザックのベルトに結いつけると、自分の若草色の傘を持ち直して、歩き出しました。

 拾った傘は、あとで公園の管理人室に届けよう。そう思いながら。





「で。どうなの?」

「あ。気持ち良い。」

 熱を持った額に、お母さんのひんやりとした掌が、軽く当てられました。お母さんの掌からは、皮を剥きたての林檎の匂いがするのでした。

「何が”気持ち良い”だか。欲しい物ある?」

 エリは、風邪をひいてしまいました。

 初夏だと言うのに。

 自分の部屋のベッドに横になって、身動きもなりません。

 伯母さんの家から帰った日、何だか、身体がぞくぞくしていたのです。そのままベッドに倒れこむようにして眠り込んで。お母さんが体温計を口にくわえさせたのを、おぼろげに覚えています。

「夕食は、部屋に運びますからね。これ、シロン、部屋に入るんじゃないの。」

 家で飼っているペルシャ猫を追い払いながら、お母さんが部屋を出て行ったのを、夢うつつに耳の傍で感じながら、エリはまた、うつらうつらと眠り始めて行くのでした。

 仔猫の真っ白な毛皮の匂いを嗅げないのを、少し残念に思いながら。

 朝方一旦降り止んだ雨が、またさらさらと降り始めています。

『その内、雨で街が水に、すっかり浸かるのではないのかしら。』

 エリは思いました。

 長い雨。街は水の都になるのかもしれません。

『そしたら、二階の窓から、ボートを出しましょう。・・・大変。私の部屋とお父さんの書斎は、船着場になるのだわ。』

 櫂の使い方を覚えなければいけない、などとうとうとと考えているうちに、エリは眠ってしまいました。

 するり。

 エリは眠りの中で、身軽な身体になって、何かの表面から内部へと滑り込んで行くのでした。

 それは丁度、プールに勢い良く飛び込む、あの解放感と良く似ています。

(魚になったようだ。)

 エリは、夢の中で、夢うつつに思うのです。

 風邪をひいた時に見る夢は、健康な身体の通常の時に見る夢と違うのでしょうか?

 火照った身体に、ひんやりと心地良く、エリは夢の内部へと泳いで行くのです。思い切り、クロールを切って。





 大空の彼方を、蒼い魚群が泳いで行くのが見えます。昔見た映画に、こんな静かな風景は無かったでしょうか。

 空のてっぺんは、随分と遠いようです。

 公園まで続く、静かな通りを、エリは歩いて行きます。エリの左右には、見慣れた住宅やお店の群れが立ち並ぶのでした。

 パン屋さんの隣は、理容院。はす向かいに、学習塾。スーパーの大きな看板も見えます。

 不思議な事に、水の底を歩いて行く筈なのに、息も苦しくなく、昔TVで見た、月面を歩く人のように、ふわふわと頼り無い足元になりもしません。

「あれ、シロン。」

 エリの足元に、小さな白い長い毛の仔猫が纏わり付いています。声を掛けられて、彼女を見上げて、

「にゃあ。」

 と鳴くのでした。やっとエリと遊べて、嬉しそうです。

「お前、濡れちゃうよ。・・・あ。解った。」

 エリの手には何時の間にか、水色の地に白い水玉のちりばめられた、雨傘が握られているのでした。

「これのお陰だ、きっと。」

 この傘のお陰で、濡れもせず、溺れもしないでいられるのだ、とエリは思いました。

 そのまま、水色の傘をさしたまま、街の通りをずんずん、歩いて行きます。

 エリと歩けて、楽しそうに、シロンは踊るように跳ねるような足取りで付いて行きました。

 辿り着いたのは、

「あれ?!」

 エリは眼を瞠りました。

 玄関前には、大きな、うっすらと赤い縁取りの額紫陽花。益子焼の表札には”伊王野”の名前。

「私の家だわ。」

 エリは、鉄で出来た、扉を開けて、中に入って見ました。考えて見れば、エリの家なのですから、エリが此処に帰って来るのは当たり前なのかも知れません。

「ただいま。」

 エリは、玄関を開けて入りました。何時もの癖で、後ろ手に、ドアを閉めます。靴を脱ごうとして、そのまま、思わず足を止めました。

 其処は、真っ白な部屋でした。

 教室くらいもある広い部屋の壁も、窓枠も、床も、天井も、ただひたすらに真っ白。

 部屋の真ん中に、背もたれの無い、丸い椅子が有りました。

 その丸い木製の椅子だけがこの部屋の家具の全てでした。

 椅子には、女の人が座っていました。長い髪を、一旦後ろに纏めて、肩や背中に流した髪型で、上品でシンプルな生成りのドレスを身につけています。心なしか、うつむいているようです。

 何だか、美術館の絵画を見るような気持ちがして、エリはただ其処に立ち竦んでいるのでした。

 女の人が、顎をもたげて、エリを見上げました。何と言う、吸い込まれそうな、湖のような色と深さを持った瞳でしょうか。それらが、にっこりと微笑みました。

「お帰りなさい。」

 優しい声で言うのです。小鳥の歌声に良く似た話し方でした。

「あ。あの。」

 エリの話すのも聞かずに、彼女は言うのでした。

「あの人からの、メッセージを持って来てくれたの?」

 エリは悩みました。足元ではペルシャの仔猫が毛繕いをしています。

(“あの人”って、誰か知らない・・・・。)

 こう言う時は、正直に言った方が良いのでは無いか。シロンを抱き上げながら、彼女は考えました。

「あの人を、知っているんでしょう?」

 女の人の口調が、すがりつくような調子を帯びた時です。

 バタン。

 大きな音を立てて、エリの背後のドアが開きました。

 女の人もエリも、思わずそちらを見ました。

 其処には、背の高い男の人が立っていました。

 背の高い男の人だとしか解りませんでした。彼の背後から差し込む、途轍もなく明るい大量の光の束が、男の人の姿形を、完全には解りにくいものにしていたのです。

 立上がった女の人が、男の人に駆け寄るのが見えました。

 ふわり。エリの身体が、宙にと舞い上がりました。白い大きな部屋には天窓が有ったのです。それもとても大きな。

 エリは、天窓から、やがて、大空へと、飛翔するのでした。

 目覚める為に。夢から醒める為に。

 シロンが、彼女の腕の中で、

「みゃ。」

 と、鳴いたのでした。





 眼が醒めた時、部屋の窓からは、朝陽と蝉の鳴き声が見えたり聞えたりしました。

 とんとん。と。階段を上がってくる足音が解ります。お母さんでした。

「おはよう。エリ。朝ごはんいかが?」

 にこにこ笑いながら、お母さんは額に手を当てました。

「よし。熱は下がったわね。」

「うん。お腹すいた。」

 パジャマのエリはそう答えるのでした。それから思いついて、

「お母さん。シロンは?」

 と訊ねると。

「まだ寝ているわよ。仔猫って、本当に良く眠るわねえ。」

と言う返事が返って来て、彼女を少し安心させたのでした。







 熱が下がって、起きて歩けるようになって、一番初めにエリがした事は、あの水色の傘を、拾った場所に返す事でした。

「此処で、良し。」

 わざわざ、開いてから、まだ濡れている草の上に置くと、エリはためらいも無く、そこから歩いて離れて行くのでした。

≪有難う≫

 何処かで誰かが、そう歩み去る彼女の背中に呼びかけたような気がして、思わずエリは立ち止まって、耳をそばだてました。

 周囲には、公園の森が広がるだけでした。

 雨の日の。


              * The End *

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