昔々、ある所に。
一体いつから、そして何故、そうなったのか、近隣の村人達も首をひねっていたのですが、朝な夕なに、傾いた陽を受けて、水底の方から、淡く黄金に光り輝く湖が、山間の土地に有りました。
清らかな水を湛えたその湖は、一番近くの村からは一本道でつながり、また、幾つもの綺麗なせせらぎが注ぎ込み、湖は、滝を作って、小川に水の流れを流し込みます。
周りは、木立で囲まれ、水面は風に揺れて、四季折々の花や木々を映します。特に、赤や白に彩り豊かに咲く、シャクナゲが美しいとされていました。
近隣の村の人々は、湖水が黄金色に、光る事等、子供の頃より、当たり前の風景だったので、別に気味悪がりもせず、畑仕事の帰り道、樵の仕事の途中、喉を潤したり、身体を洗ったり、夕餉のおかずに、魚を取ることなどして、この湖に慣れ親しんでおりました。
ある日を境に、村の子供達が、噂するようになりました。
『湖に、黄金の小魚が棲んでいる。』
と。
大人達が見に来れば、確かに。ゆらゆら、ひらひら、きらりと。
身体をくねらせているのが見えます。尾びれをゆっくり、動かして泳いでいるのが見えます。確かに金色の、小さな、尺上に届くか届かないほどの小さな魚です。一体、いつから其処で暮らしていたのでしょうか。
水面の上で跳ねて見たり、湖底が見えるほど、何かの拍子に、湖水が透明になる隙を狙って、ゆっくり、上がって来るのすら、見えるのです。
「ああ、棲んでいるねえ。黄金の小魚。」
子供たちに何か言われる度に、大人たちは、そう呟きました。
「別に、悪いものでもないようだし、棲んでいても、良いのではないのかい?」
こうも言うのです。
「でも、漁にかかったら、気味が悪いから離してしまうかも知れないねえ。」
この道三十年の、ベテラン漁師からそれを聞いた時、子供達は、大喜びしました。
黄金の小魚は、黄金の湖に、いつまでも棲んでいても良いのです。
そんなある日。
湖に、“悪い男”がやって参りました。
男は、目つきが悪く、一瞬もじっとしておらず、常にきょろきょろして、時間を無駄にするのが惜しいと言った様子で、村人達から、様々な事を聞き出していました。
その晩は、村でも一軒しかない小さな旅籠に泊まり、夜も更けてから、行動を開始したのです。
実は、湖が黄金色に光るのは、理由が有るのです。
湖の底には、それだけを材料にして家が作れるほど、沢山の砂金が降り積もっていたのでした。陽の光を受けて、光っていたのは、砂金だったのです。
暗闇の中で、一人とぼとぼと道を急いでいた男は、湖のほとりに辿り着いてから、辺りを見回しました。
誰もいません。少し風があります。夜空で幾つかの星が、きらきらと光っているだけです。
この様子では、男が周りが良く見えるようにと、火を焚いても、誰からも、見とがめられは、しないでしょう。
「しめしめ。」
男は、担いでいた袋から、そうっと、道具を出し始めました。
「これで、この湖の砂金は、俺様一人の物さ。」
数ある道具の中でも、一番大きな絹で作られた袋を身体に結び付けて、そろそろと、水中に入ろうと足を付けた刹那。
「そうはさせるものか!」
水面から勇躍、飛び上がって来たものがありました。
弾丸のように、強い風で飛んで来た木っ端のように、男の顔を、直撃します。
「うわあ!」
たまらず、男はもんどりうって、湖面に倒れこむように、水中に没します。そのときを狙って、小魚は、そうです、あの、黄金の小魚です。小さな口を一杯に開けて、男の喉といわず、耳といわず、滅多やたらに噛み始めたのでした。
あっと言う間の出来事でした。丸太のようになった男の体が動かなくなったのを見極めてから、小魚は呟きました。
「この砂金は、村の人の為の物だ。誰が、お前なんかに。」
小魚は、村人達に、感謝していたのでした。漁で取られなかった事、偶然釣り上げて、放してくれた日も有りました。
「少しは、恩返しになったかな?」
そう言った時です。異変が起きました。
小魚の体が、不意に、輝き出しました。と、瞬く間に、見る見る、大きくなり、体がずんずん、長くなって行くのです。
「何が、起こったんだ?」
小魚は、叫びました。そして、水面から顔を出した自分の姿を水鏡で見て、二度、叫びを上げました。
「龍。龍だ!」
其処にいたのは。黄金の小魚では有りませんでした。全身が白銀の鱗に覆われ、二本のヒゲと角を持つ、一体の龍に他ならなかったのです。
「一体、これは・・・・。」
その時、湖中に不思議な光が溢れ、虹の輝きを持つ星の光の中から、厳かな声が、彼の耳に届いたのです。
“龍よ。もともと、お前は、飛天の使いをつとめる、白銀龍であった。
どうしても、地上で修行をしたいと言うので、これまで、小魚の姿に変えて、
地上で暮らさせていたのだ。
だが、私は一つ、お前と約束をした。
それは、地上で一つ良い事をしたら、龍の姿に戻し、修行を完全に終えたと見るまで、
高い山の上、仙境で暮らし、やはり、仙人や天界の為に、様々な仕事をすると言うものだ。
今の気分は、どうだね?”
言われている内に、少しずつ、遠い遠い昔の記憶を取り戻して来た龍は、湖を含む、周囲を見回しました。生まれて始めて見る、と言う気だけはしませんでした。
夜明けが近いのか、東の山の方から、風が吹いて来ました。少しずつ、稜線が仄見えて来ます。
お別れです。村人達とも、子供達とも、水辺で咲くシャクナゲとも。
どっちみち。こんなに、身体が大きくなってしまっては、龍は湖では暮らせないのです。
龍は一度だけ、吼えました。水面を渡る風の音に良く似た、湖のほとり、林の木々の梢を揺らす風の音に紛れるかのように、優しい、吼え声でした。
夜が明けた後、黄金の湖は何も無かったかのように澄み切って、そこにはあの男の姿は影すらも有りません、いつものように、満々と水を湛え、シャクナゲが、花弁を水面に落とします。
そして。
ひらりと泳いだり水面に跳ねたりする、小魚の群れの中に、あの黄金の小魚の姿も、既に無いのでした。
彼が何処に行ったのか、水面にその姿を映して流れる雲は、誰にも何も、答えてはくれませんでした。
昔々の、お話です。
* The End *
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