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四月の童話 =遊園地がやって来た=

街に、春がやって来ました。

 待ちに待った春です。

 入園入学の春。新入社員の春。

 クリーニングに出したばかりの白いシャツのように、新鮮で良い匂いのする春。

 庭に何を植えようかと考える春。

 ベランダに置いた鉢植えが、とても気になる、春がやって来たのでした。

 ある、表通りに面したマンションの五階。リヴィングと一続きになったベランダでも、こんな会話が交わされています。

「すっかり、良い陽気になったな。」

「そうね。貴方。」

「その鉢植えの花、肥料をやるのかい?萎れたって、言っていたじゃないか。」

「そうなの。でも。もう少し。」

「もう少し?」

「この花は、長い冬を耐え抜いたのよ。新しい芽を出すわ。きっと。」

「そうだな。もう、春なんだし。」

「勿論よ。貴方。春なのよ。これが。この暖かさが。この陽射しが、春なのよ。」

「うん。」

 春なのです。

 大人達にとっても、楽しい春。街の子供達にとってはいかばかりか、喜ばしい日和になっていた事でしょう。 

 フキノトウを見付けては歓声を上げ、タンポポを探して走り回り。マロニエの並木道の両側に整然と立ち並ぶ住宅街から、郊外の貯水池のほとりに佇む雑木林に至るまで、蝶々と一緒に遊び回っています。

 でも。何か他に面白い事は無いものか。何か他に楽しい事を探すとしたら、それは何でしょうか?

 答えを探しあぐねていた子供達と、あまり遠くへ行って危険な目に会っては大変だと心配する両親達の耳に、やがて朗報が飛び込んで参りました。

「巡回公園?全国を回っているって?」

 びっくりしたのは、子供達ばかりでは有りませんでした。

「そうなのよ。貴方。街外れの誰も使っていない、広い空地ですって。ほら、マキバ・ホーム・センターの裏側に、原っぱが有るでしょう?」

「ああ、岡本パン屋の隣の。本当かい?」

「ええ。回覧板で廻って来たのだけれど、勿論、無料ですって。」

「危なくないなら、良いのじゃないか?…和也が大喜びだな、これは。」

「お隣の正樹君もよ。跳ね回っているわ。」

 噂が凄いスピードで子供達の間を駆け巡りました。寄ると触るとこの話でもちきりです。

「ターザンやるんだ。僕。ターザン。あーあああ~って。」

「ブランコが有るんだって。凄く大きくて長いんだ。」

「滑り台が螺旋状なんだって。螺旋状って、何だか知っている?」

「ねえねえ、知っている?ゴム飛びのゴムを貸してくれるんだって?!」

「知っているわ。とっても綺麗なピンク色のゴムなんだって。これで忘れて行っても大丈夫だわ。」

「あら、N市に居た時は、ゴムの色は虹色だったって。きらきら光っていたって。」

 巡回公園が街外れの広い原っぱにやって来る、其の日が待ち切れません。

 期待に胸をときめかせて待つ日は、水仙の一番最初の花が開く、ちょうど其の日でした。

 意外な事に、高らかに鳴り響くファンファーレと市の偉い人達のテープカットと共に、其の日は始まったのです。

 学校の校舎と、校庭を合わせたより何倍か広い、広場に、あちらこちらから、手を繋いだ親子や、友人同士が集まって来ています。みんなが期待に顔を輝かせているのです。

 春は、手を繋ぐ季節でもあるのです。

 公園の責任者は、挨拶の時に一言、

「子供の皆さんは勿論、大人の方々もどうか、楽しんで行って下さい。短い間ですが、よろしくお願いいたします。」

 と言った、にこにこ笑っている姿が、ちょっと絵本に出て来る、熊の様な男の人です。公園の責任者ですから、≪園長≫と呼ぶのが正しいでしょうか。

 園長が眼を細めて見守る中、子供達は大喜びで、遊具に飛び付きます。

 夜の間にどういう工事をしたものか、巡回公園は、遊具つまりブランコや滑り台にジャングルジムを全て備えた、何処から見ても、立派な公園そのものでした。ただ、普通の公園と違って、シーソーからベンチに至るまで、金具の要る所以外は、その殆どが木製、丸太や板切れで出来ているのでしたが。

 喜び勇んで飛び回る子供達を、公園の中心部に聳え立つオブジェの上から、角笛を吹く子供。天使が見守ります。何から何まで、良く出来ていました。

 温かいクレープとホットミルクを売ってくれる屋台まで出ています。若い男の人と髪の長い女の人のカップルが、カスタードクリームや生クリームと色々なフルーツのプリザーブを、薄い生地で、くるっと巻いて子供達に手渡してくれるのでした。

 おかしなことに、青銅製の天使には、頭の上の輪っかは有っても、小さな背中に二枚の翼が有りません。注意深い人ならば、気が付いたかも知れません。

 子供達は夢中で走り回ります。縄で出来たトンネルをくぐり、縦や横に張り巡らされた丸太で出来た迷路を探検し。はらはらしながら、大人達は、それを追い回し、名前を呼び、時に思慮深く注意を与えます。

 お弁当を持って来た親子も居ます。好きな場所にシートを広げてピクニック気分です。

「家の近くでお弁当って言うのも良いな。」

「ママ、こんな卵焼きも有るんだね。美味しいや。これ。」

「ミモザ卵って言うのよ。また作ってあげるわ。」

「食べたら、また遊びに行くんだな?皆と仲良くして、危なくないように遊ぶんだぞ。」

「うん。行って来まあす。」

「気を付けてね。」

 日の暮れるまでそれは続いたのでした。夕御飯の席に付いてうつらうつらしているのは、誰でしょう?お父さん?それとも?

 ほら、ソースをこぼした。くすくす笑いながら、テーブルカバーを素早く綺麗にするお母さんも、今日はちょっと疲れた顔なのでした。

 次の日も。また、次の日も。

 子供達の元気良く飛び出して行く、弾丸の様な姿を、笑顔を浮かべて、両親は手を振って送り出すのでした。

 飽きる事無く、子供達は、広い原っぱを思い切り駆け巡り、遊具を使った新しい遊びを思い付き、尽きる事無き泉の如くに、新しいルールを思い付きます。

 其処は、子供達の空間、子供達の世界なのです。

 青い空の下、天使は微笑み、雨が降れば、クレープの屋台と一緒に大きなテント、園長が居る、黄色い天幕の下に逃げ込みます。

 公園の何人か居るスタッフの内の誰かがぶつぶつと、雨の音は詩の朗読のようだと言い、ゲーテやワーズワースを一くさり、朗読して見せ、詩はいつの間にだか、誰もが良く知っている歌の、大合唱になるのでした。

 巡回公園は大成功でした。

 或る日。

 公園の帰りに、真っ黒になった子供達の一人が気が付きました。

「あの木は何で、真っ赤なの?」

 傍らに居た、一人の大人に尋ねます。

「どれ?ああ、坊や、あれはね。桜の木なんだよ。」

 彼も嬉しそうです。桜が咲けば、いよいよ本格的な、春到来ですから。

「桜?」

「蕾の色だね。赤いのは。」

「ふうん。」

 その時、子供は見たのです。公園の入り口に佇む、園長の姿を。彼は、何となく、寂しそうでした。

 最終日。いよいよ、今日で巡回公園ともお別れです。

 雲一つ無い朝。何時ものとおり、三々五々、子供達が集まり出したのを見て、園長は頷きました。

 此の街に来て良かった。心からそう思っているが如くに。

 一日、思い切り此れまでにもまして遊んだ後、斜めになった陽射しの中で、子供達は全員、風船を手渡されました。

 ゆらゆら揺れる大きな風船は、赤や青、黄、緑、白、ピンク、紫、橙と色取り取りです。

「トランペットを三回、吹くからね。」

「そしたら皆で、手を離すんだね。」

「そうだよ。」

 やがて。夕陽が街の西、地平線に沈む頃。トランペットが鳴りました。

 何百、何千、と言う小さな手が、時にはしっかりとした大きな手が、一斉に、風船の口に繋がっていた糸を、離したのです。糸の一方の先には風船が。もう一方の先には、草花の種が、結び付けられているのです。何ヶ月かすれば、或いは来年。花達は街のあちこちで、美しく咲いた姿を見せてくれる事でしょう。

 あっと言う間に夕焼けの空に舞い上がって行った風船の跡を、しばし、眼で追うが如くに、園長は佇んでいました。そして。

 くるりと人々の方を向くと、綻び始めた桜の木の下で、黙礼するのでした。

 帰り道、子供達をおんぶしながら大人達は話し合いました。

 やれやれ楽しかった。巡回公園か。また来年も来ると良い。歓迎しよう。一年に一度、こんな事が有っても良いさ。





「やれやれ、大変だった。」

 園長。いえ、今は元の姿に戻った彼は呟きます。

「毎年、お役目御苦労様です。」

 これも元の姿に戻った女性スタッフの一人が声を掛けました。笑っています

「毎度の事ながら、子供達のパワーには、端倪すべからざるものが有る。」

「全くです。閣下。」

 クレープ売りの屋台の若者も言いました。はつらつとした様子です。

「彼等彼女等が、我々の作った公園で思い切り遊んでくれるお陰で、今年も春から沢山、お花が咲いてくれそうですよ。」

「勿論、木に咲く花も。」 
と。クレープ売りの髪の長い女性が応じます。園長はホッとした様子で、
「うむ。まずは目出度い。館に帰って祝杯を。…おっと。」

 彼は若干急いだ様子で、天幕の外に出ると、空中で何かを掴むような動作をしました。もう一回。ぱっと優しく掴み取ります。

「すまん。忘れる所だった。」

 と言うのと、彼の大きな身体が宙にふわりと浮かぶのは、同時でした。

「あんたには、これを届けないとな。約束なのだし。」

 青銅製の天使に、彼は話し掛けました。両手で大事に持っていた物を、惜しげも無く、天使にふりかけます。

 ピンク色の桜の花弁が二枚。天使の身体につくが早いか、桜は変化を遂げました。

 此れまで無かった物が彼の身体に生まれます。天使の翼。

 頭の輪っかと合せて、完全な、天使の姿をした天使が、オブジェの上に、現れたのでした。

 翼が背中で羽ばたきます。春風に乗るタイミングを見計らうかのように。

 黄色い天幕の裾を引っ張って、引き寄せ小さく畳んでスーツケースに仕舞いながら、彼はその様子を眩しげに見守っています。

 やがて、くるりとトウで一回転すると、天使は夜空に舞い上がりました。桜の花弁の翼を背負った天使は。青銅で出来ているようには、もう見えません。

 園長はその天高く遠くなって行く姿に、帽子を取って、軽く振ると、スタッフ達を促し、春の夜闇の中に、ゆっくりと消えて行くのでした。



 春.....。

 天使が喜びの角笛を吹く季節。



* The End *

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