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二月の童話 =日々の鏡=

 昔々。ある国のある街の、これは物語です。

 一人の少女が住んでおりました。

 少女の家には、季節毎に美しい花の咲く庭が有り、庭の噴水の傍には、獅子や鹿を象った彫刻が有りました。

 しかし。少女は、花や小鹿には何の興味も有りませんでした。

 毎朝。目が覚める度に、少女は、家の一室におもむき、そこで、一枚の鏡をのぞき込むのでした。

 鏡に映るのは、美しい栗色の長い髪、ピンク色の頬、勿忘草の瞳を持つ、ほっそりした女の子です。白く柔らかい生地のネグリジェをまとった彼女は、まるで王女様のように見えたものです。

 毎日毎日。飽きず彼女は鏡をのぞき込むのでした。毎日毎日。

 彼女は、何故、飽きずに鏡を見るのでしょうか?

 その秘密は、鏡が置いてある部屋に有りました。

 つるつるした部屋の壁には、丸い鏡、四角い鏡、楕円形の鏡、時には、三日月の形をした珍しい鏡と、沢山の鏡が掛けられてありました。

 仮面舞踏会に使う仮面が掛けられているから、不思議に思って手に取って見ると、二つの目の部分が、鏡なのでした。

 其処は、正しく鏡の部屋でした。大きな姿見、三面鏡、手鏡、およそ鏡と呼べるものなら、何でも揃っていたのです。

 中でも少女のお気に入りは、”季節巡りの鏡”と呼ばれる、十二枚ワンセットの素晴らしい鏡です。

 五月の鏡をのぞき込めば、いながらにして彼女はメイ・クイーンです。

 八月の鏡をのぞき込めば、例え部屋の窓の外は小雪がちらついていても、彼女のまわりだけは、蝉が鳴き、夏の森の爽やかな風が、髪を乱します。

「これぞ、貴婦人の生活だわ。」

 彼女は思いました。胸の中は、この鏡を独占している誇らしさで一杯でした。

「本当の貴婦人は、暑いとか寒いとかに、こだわっていては、いけないのよ。」

 本当の貴婦人について、何ほどかの知識をつかんでいた訳では、少女は勿論有りません。ただ、それが、少女の考えであったのは確かです。

 それに、部屋の外は暑くても、燃え上がる紅葉に、自分の姿が包み込まれているのを見るのは、例え、其処が鏡の中でも、大変素晴らしいものではないのでしょうか。

 彼女の毎日は、鏡に始まり、鏡に終わります。

 眠る前に、鏡に映る自分に向かって、「お休みなさい。また明日。」

 と、ドレスの裾を、ちょっとつまんで、挨拶をするのです。



 それは、寒い冬の午後でした。

 お母さんに頼まれて、パンを買って来た彼女は、ショールをかぶった頭から白い息を吐きながら、六月の鏡を覗き込んだ自分がどうだったかを、うっとりと思い出していたのでした。

「私は、初夏の空の鳩だったわ。ゆったりと飛んでいったのよ。ゆったりと、誰にも負けないほどに、優雅にね。」

 家に帰ったら必ず、すぐに鏡の部屋へ飛び込もうと、自分に言い聞かせながら、家まであと一ブロックほどの所へ差し掛かった、その時です。

 笛の音が聞こえて来ました。

 妙なる、笛の音が。

 真珠が連なるように、小鳥が翼を連ねて飛ぶように、街角にその音色は流れているのでした。

 見ると、小さな石造りの広場に、老若男女の別なく人垣が出来て、真ん中には、のっぽの、祭りの日に被る様な帽子を黒い巻き毛の頭にちょいと載せた笛吹きの若い男がいました。男は、長い黒い笛を、身体全体で吹いているようでした。

 片足を上げたり、下ろしたり、くるりと回って見せたり、二月の寒風の中で、彼は、汗をかいて演奏しているのです。

 頭をそらしてみせたり、うなずくように、笛と一緒に動いて見せたり、大忙しです。

 少女は何時の間にか自分が、足を止めて、街の他の人々、パン屋さんや、神父さん、買い物帰りの子供の手を引いた御婦人達と、聞き入っているのに、気が付きませんでした。

 子供達も、遊ぶのをやめて、聞き入っています。

 少女は、縦笛が、こんなにも美しい純粋な音色を出すものだとは、ついぞ、知りもしませんでした。

 やがて。演奏が終わると、広場は拍手喝采と、大きな鍔広の帽子を回す声で満たされたのでした。

 笛吹きは、汗びっしょりになって、歓呼の声に応えていました。その笑顔に、少女は、どんなに聞いてみたかったでしょうか。

「何故、あなたは寒さを感じないの。」

 少女の瞳には、日焼けして真っ黒な笛吹きの顔が、大変に美しく見えたのです。

「御覧なさい。空を。どんより、曇っているわ。今にも、雪が降りそうよ。こんな日に、外に出たりして。笛を吹いてみたりして。風邪をひくかも知れないじゃないの。」

 その時、笛吹きと少女の目が合いました。少女は、真っ赤になりました。

 慌てて、踵を返すと、彼女は、走り出しました。パンの入った袋を抱えて、もう二度と、振り返らないつもりで。

 玄関に駆け込むと、彼女は、慌てて、靴箱の隣に有る、古い、彼女の母がお嫁に来た時に持って来た、全身が映る姿見に、自分の姿を映して見ました。

 どんな姿を、自分はしているのでしょうか。

 鏡には、上気した顔を、複雑な模様が浮き出るようにざっくりと編まれたニットのショールに包み込んだ、長い髪の少女。自分自身が映っていました。

 ほつれ毛が、何だかとても、良い具合に見えたのです。

 同時に。彼女は気が付きました。

 鏡の魔法の力を借りなくても、普通の鏡に映し出しても、自分がどんな姿形をしているのか、分かるのだ、と言う事に。

「此処にいるのは、今の私。・・・・今現在の、私なんだわ。」

 まだ、震え続ける唇をやっとの思いで動かし、彼女は走り続けた為にしゃがれてしまった声で、囁くのでした。

 冬の風は寒く、その中を、走るはおろか、歩くだけでも、体力を容易に消費します。しかし、冬を歩き続けることでつかんだ物は、誰にとっても、大変大事なものなのです。

 それ以来、少女は、鏡の部屋に行く回数を減らしました。代わりに、時々、笛の音色が聞こえると、何処にいても、何をしても、やめて、そこで立ち止まり、じっくりと、何かを探し続けるのでした。

 もう一度、あの、あれ以来、街に帰って来ない、笛吹きに会えるかも知れない。良く、そんなことも、考えるようになりました。

「その時、私は、何て言おうかしら。素晴らしい演奏だわって?それとも・・・?彼は、その時、何て応えるのかしら。」

 彼女には、楽しみが出来ました。

 そして。

 ある日。街で最初の花が開いた日。彼女は嬉しい、自分に関する発見をしたのです。やっぱり、鏡を見ながら。

「まあ。いつ、出来たのかしら。」

 右の頬に、小さく、えくぼが出来ていたのでした。



* The End *

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