「釣れますか?」
何て言う、平凡な、万国共通の、釣り人に対する、問い掛けだろう。
私の問いに、水辺にて、腰掛けて、釣り糸を垂れていた年配の男は、じろりとこちらに視線をやる事で答えた。私は苦笑する。
いきなり、横合いから声をかければ、当然かも知れない。何も知らない若い女と、そう、苦々しく思っているのだろう。堅く蓋を閉じた、アイス・ボックスが日の光を反射している。川面のきらめきにはかなわないが。
良く晴れた良い日。釣り日和だ。仕事をするなんて、馬鹿馬鹿しく思っても、こんな日は、仕方が無い。
雑草の生えた土手に立って、私は声を尚もかけた。
「あら。上流から、何か漂って来ましたね。・・・竹細工?!」
「知らんのか、あんた。魚篭(びく)と言うんだ。」
そう云うと、釣り人は、一回、竿を振った。クリーン・ヒット。見事に引っ掛かった。ひょうたん型のそれが、水雫を垂らしながら、リールの回転音と共に、男の手の中に入って行くのを、私は感嘆して眺めた。
男がアイス・ボックスを開けるのを見た所で、私は言った。
「魚篭って言うのは、釣れた魚を入れる道具でしょう?!なのに、更にアイス・ボックスに入れるんですか?!」
男の眉毛が上がった。立ち上がって、私に何か言おうとした所で、左右から、大柄な男達が飛び出して来た。仁王立ちになった男の腕を、取り押さえ、アイス・ボックスの蓋を開ける。
「有りました。間違い無く、取引先の場所と、サンプルです。小さな紙に、URLのメモが書かれて、錠剤と一緒に、ビニール袋に入っていました。」
「“エンジェル・パウダー”の?!」
流石に、結果の気になっている私は、同僚に聞いた。
”天使の粉”は、ここ数年、急速に、首都圏において、蔓延し、市場を拡大し始めている、恐るべき、習慣性を持った覚醒剤である。取引ルートを掴むべく、活動と探索の輪を広げ始めていた矢先、一人の捜査官が、逃走中のライトバンから、撃たれた・・・・私の父である。
連れて行かれる男を見送った後、私は、もう一度、川辺に立って、辺りを見回した。
対面の川岸に、こんな騒ぎも知らぬ気に、やっぱり、釣り糸を垂れて、水面を哲学者の面持ちを持って眺めている若い男がいた。
私は、今度こそ、昔、良く父にお弁当を持って行って、恐る恐る声をかけたように、その男に、話し掛けた。
「釣れますか?」
照れたように、その男は、私に日焼けした笑顔を向けた。
私の、婚約者は。
* The End *
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