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階段を上る男

子供の頃から階段が好きだった。



 はいはいを始めた日に、新築の家の二階への階段を辿り始めたと聞く。

 情熱を燃やしていたと言っても良い。しかも、どちらかと言えば、下りより上り、降りるより、登る方に、より執着を感じた。

 大人になってもそれは変わらない。

「階段は、飛ばすより、一段一段上がった方が、より足腰の鍛錬になり、健康の為にも良い。」

 貧乏だった若い頃、勉学だけが頼りだった新卒の年。

 順調に溌剌と階段を上ってオフィスにやって来る彼は、やがて上層部に顔と名前を覚えられた。

 彼の人生を決定的に変えた辞令の下った其の日も。彼は息を切らす事無く階段を上って、扉を開け、朝の挨拶を丁寧にきちんとしたのだった。

 あれがもう、はるか昔に覚える。

 今、眼下の夜景を見下ろしながら、彼は自分を形作って来た階段との日々を思い起こして来た。悔いは無い。しかし、何だか寂しいような…。

「もう、此の世には、私の挑戦すべき階段は、無いのかも知れない。」

 ふとした悲しみは、やがて、身体の内部の、否定し切れぬ痛みに変わり。

 はたと気が付いた時は。彼の眼前に光り輝く、真新しい上りの階段が出来ていたのであった。何処からか、良い匂いがして来る。決断は直ぐだった。行こう。

 彼は、ふわふわとした足元を、決然とした足取りで踏み出しながら、呟いた。

「そうか。この階段は上った事が無いな。」

 天国への階段・……。



         * The End *

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