「遠い昔の話だ。」
夜闇の中で、燎原の火。燦爛と燃え盛るのは、地平の輝き。あかあかと生き物の様に、動き回るそれは、軽く星々のそれを凌ぐ美しさを持っていた。
うっとりと。
夜光玉の杯を手にしながら、窓の遠くに見える炎を眺めていた男は、未だ若い。
青年と言っても通る。ゆったりと腰掛けた椅子の上、炎の光を映して、杯の中で、美酒が揺れる。
炎は、彼が居るこの城の周りで燃え盛っている。
彼を、城より燻し出し、同じ色で燃やし尽す為に。
彼は、軽く杯を上げて見せた。
「昔の話だ。私が、あの男や、あの女と、玉太森の中で、一緒に毎日、毎日、遊び回っていたのは。」
現在彼の住んでいるこの、古く伝統ある、それでいて強固な城から、遥か西の果てに有る古い大木が鬱蒼と茂った森の名前を彼は言った。
確かに昔の事だ。
昔の事でも忘れた事は無い。
それは、青空の下、果たしてあれは、人間の子供だったのか、仔リスか仔鹿では無かったのか。
目まぐるしく、木に登り、ごっこ遊びをし、草むらに寝転んで、終日、将来の希望を語り合ったりなどして、
「ああ、懐かしいな。二人とも、玉太森の山キスゲの花を、今でも時々、髪に飾ったりするのだろうか。」
頬が赤く染まったのは。果たして炎の色だけだったのだろうか。
今は、敵味方同士となっていても、ともすれば、あの頃と同じに語り合えはしないだろうか、と思えるのは。
とまれ。”時間”ほど、強大な魔道使いは居ないものと見える。
「友よ。北一よ。」
長らく会っていない、すっかり、一軍の将としての立ち居振る舞いを見に付けたであろう男の、これも子供の頃の呼び名を呼んで、彼は立ち上がった。
「相変わらず、変わってはいないな、その生真面目さは。緯姫に求婚した時の儘だ。」
おままごと遊びに、彼を一日連れ回した、やんちゃな姫君の面影が、脳裏を過ぎり、消えて行く。甘い痛みも、今は、懐かしい。
・・・今は、彼はその感触を楽しんでいた。
「余りに生真面目だから、気が付かなかったのだろう。・・・・・城の周りに、洞窟が多いのを。危険なものを、それと知りながら、埋めなかったのは、何故なのかを。」
外からは部屋が有ると思えぬ場所に有りながら、窓からは、外の風景が一望出来る。
気取られぬよう灯りを消した薄暗い部屋の中で、彼は、つと、周りを見回した。
一人では無かった。
酒の盆を捧げ持った家令から、帯剣を携えた将軍達に至るまで、彼の城を構成する人間達は、いつでも動けるよう、其処に、彼の傍らに控えていたのであった。
「さて。城の中から続く道を通って、洞窟の中の、これも秘密の道を通り、国境沿いへと回るとするか。」
将軍の一人が、万事心得たように、頭を下げる。
「北一達の、背後に回ることになる。しかし。」
意味有りげに、彼は、言葉を切った。炎に、額の宝環の玉が、揺らめいて光った。
「だからと言って、北一達とは、今はまともにぶつからない。不意打ちに勝つ戦法では無いしね。」
家令が、合図をすると、人々が、ひっそりと、移動を始める。
淀みない動きを恍惚と眺めながら、
「だが、巻き返しは、十二分な戦力ですることに、なるだろうな。」
微笑すら浮かべて、炎に映える顔に、つと、一筋、流れ星の如くに、光るものが有る。
尚も炎を見つめ続ける彼の貌を、見てみぬ振りをして、居並ぶ人達は、静かに、引き潮の如くに、住み慣れた城を離れるべく、準備と指図を続けるのであった。
* The End *
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