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隣の領地から手伝いに来ていた従兄弟、伯父達と、狩りに出ていた日だと思う。朝早く起きた日だ。
慌てて、家の外に出ると、未だ塀の辺りに立ち込める朝餉の香ばしい名残の中で、兄が所在無げに村の入り口の方を見つめて、その後、私を見て、『お早う』と言ったのだ。笑っていた。
いつもの通りだった。何もかもが。赤と青の朝の色も。金が混じった銀色の陽射しも。
十数人で構成した集団は、山に入った後、二三人ずつ組んで、或いは、一人ひとりが、別々の役割を担当して、要はばらばらになった。
まだ子供だった私はと言えば、獣道の麓の方で、獲物を待ち構えるようにと言われて、背の高い枯れ草に埋もれる様にして、ただ立ち続け、待っていた。
風が余り無いのは、良かったなと、私は思ったのだ。
寒さは凍て付くようだが、獣の敏感な鼻に、我々人間の匂いを、さほどは察知されずに済むから。
獣は、所詮、人間の住む世界には異なる世界に住んでいる。
一つ二つ、三つの村にまたがる程度の広さを持つ程度の山も、人間が一人入れば、それは、山と言う獣達の異世界に、人間界が入って来たのと同じであると、父から教わって、私は育った。
眼の隅を、影が走った。ウサギに間違いない。人の声がしないところを見ると、追い立てられて来たものではあるまい。追いかけようか、矢の一つも射込んで見るかと逡巡していた所へ、私の過剰な位、過敏になっていた鼻が、ふと薔薇に似た芳香を察知した。
ウサギの姿を捉えた瞳が、今度は、頭上にふと小さな影を見たのだ。
曇天を突いて、羽根が落下して来た。くるくると、羽柄を軸にして空中に文字を書くかに回転し、ほぼ音もさせずに、私の見る間に着地したのであった。
私はと言えば、思わぬ出来事に驚愕するばかり。ただ、その羽根の持ち主はと、空を見上げれば、変わらぬ冷え切った曇天ばかりが頭上に広がるのみ。
羽毛すらも雪のように白い羽根。雪と見間違わなかったのは、ひとえにその形状のせいである。
「何の鳥だろう・・・・?」
父の言葉は私を驚愕させた。子供心に、父に解らぬ事など無い。しかも、庭も同然の裏山のことではないかと、大自然を侮り、父のことを誇りに思っていたのだ。
夕飯時、手柄話に取り囲まれ、ビールのジョッキを鼻先に出されながら、私は暖炉で撥ねる火花の物音に、父や兄の声を消されまいと懸命に耳を傾けていた。
羽根の長さは、優に父の右腕から肩の長さを越えていた。このような長い羽柄を持つ鳥は、さて、如何なる大きさを持つものか。
不思議なことに、落下して来た折に、私が嗅いだ芳香は、暖かな部屋の中で乾燥して、消えて行くかと思えば、ますます、芳しく匂い立つ様であった。まことにそれは、どのような、鳥なのか。
我々の頭上を如何な鳥が飛び過ぎて行ったものか。私が興味を覚えたのも、むべからぬと言えよう。
私の興奮を見て、幾許かの危機感を覚えた伯父の一人が、村の倉庫に、羽根を保管することを思い付いたのは、その夜、深更の刻であった。
だが。
次の朝。私一人が、羽根の事件を知るものでは無くなった。
”粉屋のエマの家”と私が呼んでいた、粉挽き用の水車小屋の屋根の上、村長のカルロス旦那の納屋。教会の鐘楼の鐘の下に至るまで、数箇所、それ以上の頻度において、真っ白い羽根が発見されたのだから。
差し渡し数メートルの翼を持つ、真っ白な鳥の実在を疑うのは、少なくとも、子供達の中では稀な存在となった。
一週間後、聖マリアの立像を安置している祠に隣接した村外れの清らかな泉。その水面に枝を伸ばす楡の木に、真っ白な大きな何かがかかっているのを発見した、鍛冶屋のジョンスンが慌てて、梯子を手に駆け寄った。
騒ぎを聞きつけた子供や大人まで、数十名。大騒ぎで引き下ろされたそれは、羽根では無く、見たことも無い上等な絹あるいはそれに類する上等な布地(と村の仕立て屋は証言した)で作られた、長い裾を持つベルトの無い上衣であった。
一体、誰が、そんな所に服を置き忘れたのかと、話題になり、代官の命を受けた使者が何頭も、馬を東西南北に街道を沿って走らされた。
ある日。礼拝のお礼にと父に夕食に招かれた神父は、敬虔な態度で、我々に、次のような話をした。
自分はまだまだ、信仰が足りぬ。
と。
驚愕した父は、それはまた、何ゆえにと問うた。
主の言葉が解りませぬ。
とんでもないことです。神父さん。
父は答えた。
あなたが解らぬと有っては、我々は正に道を見失った、子羊の群れ。先導して下さらなくては、無信仰と言う名の暗闇をただ、めえめえと無き交わしながら彷徨うばかり。と。
私も肯いた。ふと見ると、家令がワインを注ぐ傍らで、母が祖母の形見のロザリオを手に、十字を切っていた。私の向かいに座る兄はただ、ワインも傾けず、聞き入っている様子であった。
短く嘆息した後、早初老に達した観の有る神父は、しかし、若々しい態度で、背筋を伸ばし、我々(両親、兄、私、家令)を軽く見回した後に、その理由を話してくれた。
今朝、祭壇の上に、羊皮紙が置いてあった。と。
誰かの忘れ物かと思い、手に取って見たところ、ラテン語でも無い、ギリシャ語でも、勿論アラム文字でも無い言葉で、十数行、インクの乾きも新しく、文章が書き連ねられていたのだそうだ。
神父の言葉を疑う人間はいなかった。と言うのは、エラドス神父という方は、大変学識が高く、また有職故実にも通じていると言うので、都の学者に古文書の翻訳の協力を手紙で仰がれたり、また、名を言えば誰でも知っている有名な貴族が、彼の識見を頼りに我等が寒村を訪れたりするので、村の名を高める、言って見れば、共同体に取っても有意義な人だったのである。
「一言一句たりとも、私に解る言葉は有りませなんだ。」
また短く息を吐いて、神父は言った。デザートは木の実のパイであった。蝋燭の火の元で、神父は顔を上げた。
「ですから、私はまだ、信仰が足りぬと、そう申し上げたのです。」
上手い言葉を思い付いて、直ぐにも神父に答えられる人間は我々の中にはいなかったのであった。
いつか、<贈り物>は止むかと思えたのだが、私などはお陰で、いつも空を見上げるようになった。
兄も同様で、窓を開けっぱなしにしていては、風邪を引くと母に直接説教を喰らったらしいと聞いた。
時々、通りすがりの郷士の令嬢達と乳母のくすくす笑いも気にならなくなって来た頃。
それは起きた。
涼しい音が、我々の耳をつんざいた。それは、降って来た。
春の豊穣を祈る祭の準備に忙しい、村の集会所のど真ん中に落ちて来た、黄金の平板な私の握りこぶしを両方合わせた程度の直径を持つ、輪。
それを見た時。
これまで、意識の何処かには有りながら、形を成さなかった、ある単語が正確な順序を以って、秩序立てられた。
それは。
私が拾い上げるより早く、粉屋のエマが拾い上げた。彼女は、敬虔さと礼儀正しさを持った挙措動作で、輪を頭上に載せた。
いつの間に、何処から手に入れたのか、彼女は、聖マリアの泉の側に掛かっていた衣装を手に、そして、衣装に包まれて、純白の羽根の束が踊っていた。薔薇の芳香を湛えて。
エマの涙を見た時に、私は、全てを了解した。いや、それに近い気持ちになった。
エマだった、<天使>が去った後、兄は、夜中に窓を開いて外を見るのを、止めた。
しばらくの間、そんな気になれなかったらしい。猟にもでなかった。理由はどうにでもなったらしい。
やがて、夏の終わり。従兄弟の一人を、正式な試合で、二三メートル、彼が投げ飛ばした頃に、私は、エマと兄との経緯を知らされた。
この世でただ一人と誓い合った男性との結婚を反対された女性が、誰でも、天使になれるものかどうかまでは、やはり、今の私には解らない。
自分の信仰が足りぬせいにしても良いかどうかについても。
解らないことだらけのこの世の中、一番解らないことが有る。私と言う少年は、どうやら、学問と神父の話と言うものが、結構好きなのかも知れぬ、と言うことである。
あれ以来、曇天を見上げる癖が付いた。晴れた日も空を見上げる。自分の部屋からも。馬上からも。
きっと、これからも、同じだろう。
* The End *
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