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暮れなずむ空の下で

 初め、いや、最初と書くべきだろう。
 最初に見た時、街中で、ガードレールの上に座っている少女が、珍しいと思ったわけでは無かった。
 呼び込みの声すら暮れなずむ、夕暮れの商店街。人の混みあう路上を、僕は一人ぼっちで歩いていた。
 ガードレールの上、横を向いた顔で、誰かが座っている、灰色と白の制服。
 むやみやたらに細いすねが見えた。
 肩にふんわりかかったナチュラルウェーブ。黒い髪の少女の顔は、きりりとした印象だ。
 好感が持てる顔だと言い換えても良い。

 僕は、少女の顔に、余り幻想を持っている方だとは、自分でも思ってもいない。
 寧ろ、小説や漫画に有るような、キャンディやフロスト・シュガーを振りかけたシュー・クリームのような顔なんて、彼女等の、完璧なる”つくり”だと思っている。
 本当の顔は、こっそり、鞄や交換日記、携帯の待ち受け画面に隠し、けろりと世の中には、見せても良い方の自分の顔を向けているのだ。

 どうせ、ガードレールの上に、でんと居座るなら、ほぼ同い年の少女ではなく、髭をピンと伸ばした黒猫の方が良いな、などと、取り留めの無いことを考えながら、其処を行き過ぎようとした時だ。
 つい、と袖が引かれた。
 え?と思う間に突き飛ばされた。僕の身体は、卓球選手にラケットでもって弾かれたピンポン球よろしく、難なく投げ上げられ、やがて、ガードレールを越えて、歩道に落ちていったのであった。
「い、痛い・・・痛いよっ!!」
 バリアフリーの路面に、背中から叩き付けられた時、僕はあまりの痛みに悲鳴を上げた。
「よーしよし。」
 見上げると、あの少女が僕をためすがめつしていた。
 何かを納得したように、一つ頷くと、くるりと振り向き。
 彼女を追っていた僕の目が見開かれた。先刻まで彼女が座っていたガードレール。今は粉々に砕けて跡も無い。
 軽乗用車が、前方から、駐車違反の自転車を何台も薙ぎ倒して、突っ込んでいた。
 どん、と言う嫌な破砕音が、今頃になって、僕の耳に届く。
 背広を着た中年の男性が、運転席にいるのが見えた。ハンドルに突っ伏して、額から血を流しているのが見える。顔色が、信じられないほどに真っ白になっている。
 事故だった。
 徐々に大きくなって来る周囲の騒ぎの中で、僕の考えている事、考え続けた事は、たった一つの事柄だった。
 あのまま、後ろから、ハンドル操作が、携帯通話のおかげでお留守になった乗用車が来ると気付かずに、のんべんだらりと道路を歩き続けていたら、僕は、どうなっていたろうか・・・・?
 途方にくれて、見上げる空は、早くも、暮れなずみ始めていた。うすらぼんやりと、おぼろに霞みがかかった春の空。
 当然の如くに、少女はいなかった。
 僕の心に、鮮烈な印象のみを残して。

 喉元過ぎれば、熱さを忘れる。でも、そればかりが悪いと言う訳では無い。

 人間は、嘆き悲しんでばかりはいられない。残念ながら、それは事実だ。意識を取り戻した男性の証言で、ほぼガードレールを無視したのは、運転者側であることが判明。
 立体駐車場の建設が、現在、真剣に検討されている。
 両親の話では、今度こそ実現するらしい。選挙公約だけの話ではなく。
 僕はと言えば、相も変わらずの毎日を過ごしている。
 でも。進路変更を、ちょっぴりだけして見た。ほんのちょっぴり。
 担任は目を丸くしていたようだが、ごほんと一つ咳払いをした後、言ったものだ。
「やる気になるのは良い事だ。」
 少女が助けてくれた(らしい)この命。大切にしたいと言えば、大袈裟なのだろうが、しかし、何だか、自分を大切にするって事は、まず、今の場所より、上を見るって事から始めて見るのも、良いんじゃないかと思う。
 その後、近所の神社の縁日で、見た事のある後姿をちらりと、目にした気がするのだが、夜で人込みで込み合っている上、待ち合わせ場所に急いでいたし、勘違いだと思うことにした。
 向こうは浴衣姿だったし。
 今、ふと思う、ガードレールのこちら側で助かった僕。あちら側で生死を彷徨った営業車の男。ガードレールの上に座っていた彼女は、あちら側とこちら側を行き来する存在なのではないか、なんて。
 誰も信じてくれないだろう。でも。僕は見たんだ。僕は見た。
 眼の裏に、鮮やかな、あの日の夕暮れと少女の姿の残像が、輝かしく焼き付いている。

 また、春が巡って来る。怖いとすら思わず、うっとりとなって僕は思う。

 いつか、あの少女に、また会えるだろうか、と。



      
* The End *

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