その時。
潮風の中、白く濁った物質で出来た膜、
白く泡立つ潮の名残を身に纏って、
彼女は立ち上がった。
ごくり。
夏の終わりの陽射しを浴びながら、僕は生唾を飲む。
何と彼女は、美しいのだろう。
波打ち際のウェヌス。
長い青みがかった、銀の髪。
丸みを帯びた肩。長いこと水につかっていたとは信じられない、ピンク色の唇。
すんなりと長く、それでいて、神秘な曲線を持った、二本の足は、僅かに開き加減。
僕を見るとも無しに見る視線は、生まれて初めてと言っても良い位、
保護欲とでも言うほか、どうでも形容しがたいものを、僕に呼び起こしたのだった。
それら全て彼女の全ては、白い緩い物質で、覆われていた。
原形質か、コロイド。いや、それとも。
ある種の魚の卵・・・・?
彼女が打ち寄せられているのに一番に気がついたのは、僕だ。
足を丸め、胎児のように身体を縮こまらせて、彼女は流木と海藻の間に横たわっていた。
潮干狩りの道具を放り出し、夢中で駆け寄った僕の驚きの声を、その繊細な耳はそれこそ、貝殻で出来たが如くの耳は、捉えたものと見える。
彼女は、海の夜明けにも似た、ゆるゆるとした動作で、しかし毅然と立ち上がったのだった。
どれ位、二人は見詰め合ったまま、立ち尽くしていたのだろう。
我に帰った時。
彼女は研究者が着る様な白衣の男たちによって、担架に載せられ運び去られようとしていた。
海辺に時ならぬ物々しい雰囲気が漂う。
呆然とした僕の袖を誰かが引っ張った。
「お兄ちゃん。」
見ると、短パン姿の男の子が、真剣な目をして、僕を見上げていた。
「何だい?」
屈みこんで僕が尋ねると、
「あの人、家に帰って、お風呂に入るんだって。
「へえ。そうなんだ。」
僕は答えた。お風呂に入る。口の中で繰り返す。
風呂に入る。あの、膜、殻は、洗ったら、流れて行くのだろうか?
初めから、何も無かったが如くに。
救急車が、土手の上を、サイレンを鳴らし、やがて、
その音も止めて、走り去っていった。
僕の知らない、遠くへ。彼女を。
もう、二度と会えないくらい、遠くへと。
潮干狩りは散々だった。
それは、そうだろう。しばらく、あの砂浜は、”使用禁止”になる。
僕は、星空を見上げる。人魚の星座を探す。
勿論、そんなものは無い。
世界の終末に、ゆっくりと向かっているのかも知れない。
そんなNewsが立て続けに、耳朶に飛び込んでくる中で。
僕は、あの、僕だけが見つけた、白く泡立つ潮の名残のことを、
ひたすらに、思っているのだった。
* The End *
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