”前略。引っ越しました。住所は、こちらになります。
― 燕”
絵葉書の片面一杯に、写真が印刷してある。
青い空を背景にしたその建物は、差出人の住所によると、割合、近所に位置していた。
春だ、春だと、街中が、いや、世界中が、叫んでいる。
少なくとも、僕にはそう思える。
春は魔法を使う。
いや、鮮やかなマジックだ。だって、そうだろう?
香気漂う桜を、ついこの間までは、うっとりと見惚れていたと言うのに、はっと、気が付けば、いつの間にやら、街中を、上品なピンクに染め替えていた誇り高い桜は失せて、目にも痛い新緑が、朝の光の中に照り映えているのだから。胸のどきどきする季節。
どんな刃物が、この輝きに打ち勝てるだろう。この、鋭い、緑の乱反射に。
刻一刻と移り変わる世界情勢にも負けない、千変万化の、四季の移り変わり。ブロードキャスター並みに注意深く、こちらの気を引いたかと思えば、あっさり、くちばしを引っ込める、雲雀の甲高いさえずり。まさしく、春だ。
どんな頑固者も、賛成してくれることだろう。
タンポポの草原に、菫の小道。草木瓜は点々と絨緞を拡げている。
僕らはてぐすね引いて待ち構えなければ。
次は、何が起こるのだろう・・・・?!
そんな時。昔、仲が良かった相手から、絵葉書が届いたのだ。
一羽の、燕から。
僕は、葉書を貰って嬉しかった。
ちょうど、一年ぶりではなかろうか。
随分、ご無沙汰していたものだ。
彼の、あのシャープな黒い服。お洒落な赤い頬。
しかも、あの切れのある飛び方は、僕ら人間にはなかなか、真似するどころか、目で捕らえる事すら難しい。
僕は、彼のあの、人情味のある、それでいてシャイな所のある性格が、とても好きだった。
その点は、彼もご同様だと思う。何たって、転居、いや、この場合、新居か?引越しを、僕に教える葉書をくれたのだから。
休みを利用して、早速行って見ようと思う。
その日は思っていたよりずっと、朝、早く起きる事が出来た。
自分でセットした目覚し時計より一時間も早く。
朝食の支度と、弁当の用意を一緒にやる。前の晩、初めてのお宅を訪ねる為の準備はすっかり終えていたものの、僕は、ちょっと、緊張していたらしい。
目玉焼きが、すっかり、固焼きになってしまっていた。半熟が、僕の好みなのだが。
バスに乗って、降りる。太陽はすっかり、高く昇っていた。
辿り着いた所は、廃校になった、昔の学校。鉄筋コンクリートの校舎は、その殆どを、緑に覆われていた。
ちょっと離れてみれば、小山のようだ。
燕の新しい家は、その屋上に有った。屋上に出るドアの、斜め横、丁度、軒下になって、雨風を避けられる。
彼の新しい家族と共に、これなら、一年だって、暮らせるだろう。
すい、と、彼が目の前を横切った。遠くに、水を引いたばかりの田圃が見える。
僕は、座り込んで考えた。
昔、僕が通った学校は、ここだっけ。
そう云えば、あの田圃が作った米は、給食にも使われていたっけ、と、考えたら、急に、お腹がすいて来た。
風が、小さな燕のヒナたちの鳴き声を乗せながら、あやすように、子守歌を歌うように、屋上に、吹いていた。
僕は、不意に、くすりと笑い出したくなった。
潮の匂いがしたのだ。海は此処から、何十キロも離れていると云うのに。・・・ツバメたちが、渡ってきたろう、海。
「案外、これは夢で、目が覚めれば僕は、電線の上にいる燕と仲良くなった夢を見たようだ、と首を捻るのかも知れない。」
気持ちの良い風に吹かれている内に、何だか、それでも良い様な気がして来たのだった。
* The End *
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