息が白い。
暮れかけた街の通りは、うっすらと、街灯の明かりが燈り始めている。その上、霧が出始めているらしく、その明かりですら、ぼやけて見える。
ラウナは、道を急いだ。すっかり、真っ暗になる前に、家に辿り着きたい。
・・・・家で待っている人の為にも。
買い物袋を抱え直して、ラウナは石畳の続く道を歩く。小さな身体に不釣合いな大きな紙袋を、見咎める人はいない。夕暮が黄昏れへとその色を変えて行くにつれ、流石に路上から人影が一人、また一人と消えて行くようだ。と、同時に、立ち並ぶ、石造りの家々に、点る、温かな窓のオレンジの光。
逆に言えば、人が居なくなるほど、早、野菜や肉、果物を売る市場の軒を連ねる大通りから、住宅街へと差し掛かったわけであるが、しかし、だからと言って、市中の危険度が軽減したわけでは無かった。
警察も手を焼く、凶悪事件が、年明けから連発して起きている。議会でも頭を抱えているのだと、市場の顔馴染みの薬草売りが言っていた。
紅茶の他に時折買い付ける、ハーブ・ティーは、此処のが一番美味しい気がする。
『間違いないよ。○○って、議員さんはね、俺の出た初等科学校の言わば、出世頭なのさ。』
などと言いながら、これは取って置きの、新しい情報だよ、と。“フロスフォンス”と“カメナフラーメン”の2種類のハーブがオリジナルにブレンドされたハーブ・ティーの包みを渡しながら教えてくれた。
頭を抱えているってことは、ね。
・・・・解決していないって事なのさ。
ぶるっと、少女は頭を振った。ミスター・マーティンスンに悪気は無かったのだろうが、一人で歩く帰り道、思い出したくない、話題だった。
彼女は、ほっと、息をついた。見慣れたガーゴイルが、少女を見下ろしていた。雪がちらつきそうな寒い夕暮れ、自分の家の門扉は温かいぬくもりを感じると思った。
鍵を下ろして、室内に入ると、もう、暖炉の火が、彼女を包んでくれる。
温かい紅茶の匂いと温もりに、安堵する。
「ただ今、帰りました。」
大きな木のテーブルに、紙袋を置く。
窓際に、人が座っていた。細かい刺繍が施されたカバーをゆったり掛けた、一人用ソファに、こちらを向いて、腰掛けている。
買い物に行くと言って出て行った時と、同じ格好だった。
一言で言えば、年齢不詳の男。目つきの鋭さは、少女の兄と言っても通るようにも見え、灰色がかった茶褐色の髪は、若干鷲鼻を押し隠すように前髪が垂れ下がり、却って、分別臭く見えてしまう。
人によっては、職業すら、解り辛いと言うかも知れない。
だが。ラウナは、今日もいてくれて、ほっとした、と言わんばかりに彼に微笑みかける。
「今、食事にします。」
暖炉の上で、薬缶が湯気をしゅんしゅん立てている。二人分のお茶を沸かそうとして、取り上げた刹那。
「先刻。」
男が口を開いた。ソファの上から窓を見る姿勢のままで。上等の絹織物同士がこすれあう物音を、どうしても、ラウナは連想してしまう。
「外を、物騒な連中が、犬を連れて歩き回っていた様だが。」
男は、世間の事には、余り興味が無いらしい。この家に、彼が来て以来、ラウナはそれを知らされる為に、彼の面倒を細々と見続けていたようなものだ。
心当たりのある彼女は、
「商工会議所の副議長さんの奥様の家に入った強盗を探しているのでは無いか、と。」
と、言った。これも、市場で聞いてきた噂話を、言って見れば、オウムかインコのように繰り返したに過ぎない。
それに、副議長さんと奥様の家は別々なのか、と、聞き返すこともせず(大人の事情、察せられよ。・・・いや、ぶっちゃけ、二号さんなのだが)、彼は、ラウナに見せている顔の反対側の手を、自分の顎にあてた。
「強盗?!」
「2階の窓から入って来て、刃物を突きつけて…。」
そこで言いよどんだラウナだった。夕食前に余りに物騒な話題と思ったのだ。そこを、男の紺色の目が射抜くように見る。ラウナはびくり、とした。身が竦んだのだ。
「刃物を突きつけて?!」
「『金を出せ』って、そう言ったのだそうです。」
言い終わった途端、肩で息をついた。男と話していると、時々、こうなる。男が、とても彼女に優しいのは、解っている積りなのだが。
何と言うのか、視線を合わせていると、苦しくなるのだ。
「お茶のお代わりをくれないか。」
「えっ!?」
ラウナは、虚をつかれて、顔を上げた。いつもの優しい笑顔が、其処に有った。時折、空想する笑顔だ。・・・ずっと、この家に、彼女の傍に居てくれないかな、と言う空想だ。
「ちょうど、お茶の葉が無くなったところだった。」
いきなり、タイミングを見計らったように、意外なことを言うのも相変わらずだ。
その瞬間、薬缶をまだ持ったままだった事を思い出した。ちょうど良い。お湯を沸かそう。それから、新しく買って来た、お茶の包みの封を切って、それから。今は、通いの家政婦さんが帰った時間だ。
あと二三軒受け持っている忙しい彼女は、掃除洗濯の他に、料理を作ってくれたりしても、テーブル・セッティングはしてくれない。いや、ラウナが、それはしなくて良いと断った。
とにかく、お茶を淹れついでに、夕食の支度を始めなければと、少女は思った。
肉を切って、パンを軽くトースト。それから、今日はポテトサラダだと言ってなかったけか。
彼女は台所に、向かった。
「エヴァデインさん、“ベリラス”で良いですか?」
と言っても、それ位しか、お茶の葉が無いのだが。
彼、エヴァデインが、量産タイプの普通に市場に出回っている、ティーバッグの代名詞にもなっているお茶の葉ではなく(もっとも、隣国の領土の相当に広い範囲を、このお茶畑が占めているのだが)、専門のテイスターのお茶を飲んだ事があるかも知れない、とは、思いもかけず。
「うん、ありがとう。」
「あ、もう暗いから、部屋の明かりを、点けましょうね。スタンド・ライトだけだと、目に悪いですよ。エヴァデインさん。」
「解った。」
フライパンの中で美味しそうに焼けている肉の塊りを確認してから、彼女は、同居人の方を振り返った。彼は再び、ソファの上で、暮れ行く街の風景を眺めながら、沈思黙考の世界に戻って行ったかのようであった。
霧笛が響いた。多分、今日は、これが最後になるだろうと、ラウナは思った。
数日後。
強盗が捕まった。彼は何と、彼等であり、複数犯であった。
それはどう言う事かと言うと、ラウナが昼間通っている学校で、一枚の号外を、クラスメートや先輩達と一緒に読んだところ、強盗”達”は手広く、商売をしていたようなのだ。
つまり、一人が、街中で特に住宅街を狙って空き巣狙いをし、また、その為に、斥候をし、金のありそうな家を物色する。対象になったのは、ラウナが住んでいる家とは、五ブロックと離れていない大通りから少し入った高級住宅街。
『道理であの辺りは、夜歩くのが怖かった。』
一人の五年生がしみじみと言うのに、そこにいた皆は声も無く同意したものだ。ラウナも含めて。
さて。ラウナは相変わらずの、いつもの日常を送っていた。
その暮らしぶりは、淡々と、水彩画のように、ただ、色を重ねていくあの作業に似ている。
暗い色。明るい色。中間の色。時には眩しい原色も塗られていく。
その風景には、あの、窓際の男もいる。
ラウナは、強盗の話を、あの後は、ついぞ、エヴァデイン=フリースと名乗る男としていない。
だが、一つだけ気になるのは、ある日学校から帰った時に、彼から、ラウナにはとても、滅多に手の出ない、学校の創立記念日に少しだけ校長先生に飲ませて頂いた、高級な紅茶の葉を、一緒に飲もうと勧められた事だ。
強盗が、捕まったのは、翌日である。
少しだけ、思う。窓から外を眺めているのは、ただ、風景を見ているだけではなく、男の目には、別の風景が、見えているのでは、無いだろうか、と。それが、いつもなのか、時折なのか、までは、少女には解らない。
今、ラウナは、男が座るソファの、カバーの張替えと、食事用テーブルクロスの交換を一緒にやるべきかどうかと、考えている。ソファは、どう考えても古くなってあちらこちらから、ほつれが来ているし、テーブルクロスは、部屋を明るくするだろう。それに。
同時にやるのだから、きっと、部屋に統一感が生まれるだろう、と、思っているのだ。
今夜辺り、男に相談して見ようかと思う。きっと彼は、面白がって聞いてくれるだろう。
まるで、自分の座る窓辺に、小鳥がやって来て、季節ごとのいろんな話をしてくれているかのように。
/ to be continued......?

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