Mary-Poppins is Where.
命令がいよいよ下った時、あたしは、『いける。』と、思った。
ラエラも、軽く口笛を吹いた。あたしの傍らで。
これなら、軽い、いや、ちょろい、と思ったのかも知れない。
彼女は、普段から、慎重派なのだが。
あたし達だけが例外ではないと思うのだが、与えられる任務と命令に必要なものの幾つかの内、共通したものが一つある。
それは、情報。正確かつ精密なまでの。
伝達方法は、口頭か文書、或いは、その『両方』。
任務なんて、グラタンを焼くように、他愛無い。ただ、ちょっと幾つか、忘れてはいけない事が有るだけ。粉チーズとか、パセリとか。当然、タバスコも(二、三滴は、普通よね)。
ホワイト・ソースに対する、ミルクの割合とか。あたしの知り合いに、乳製品だけは、こだわりを持っているのがいて、それだけは、高級食材を扱う店“クロージーヌ”で仕入れてくるのがいる。
ああいう店が、安くなんてしてくれる訳無いのに、馬鹿みたいだ。
しかも、バターを買う時に限って、知っているの(いつも本人が行く雑貨品店主も含めて)が通りの向こうからやって来た時に、すぐさま、建物の陰に隠れる、鬼ごっこやかくれんぼをするなんて、度し難い。
参政の権限が有り、選挙権も有る、立派な大人のやる事とは、とても、思えない。
そう、任務なんて、軽い。ただ、ちょっと、具の取り合わせも含めて、全体的に塩加減に気を付ければ良いだけ。
あと、オーブンの予熱と温度とか。グラタン皿に、素手で触らないように、とか。
・・・・・・・嘘だ。
あたしは、任務の出動命令が下った後はいつも、食欲を失くす。
ラエラだって、そうだ。あれほど、冗談好きなのに、その唇からは、一切の微笑が消えてしまう。
ラエラは、金髪のゆるいカーブの長い髪がとても、印象的。今は、前髪も一緒に、頭頂部分で細いピンで留めて、後ろに流している髪型にしている。それだけに、秀でたピンク色の額が、一層艶やかに見える。その上、緑がかった水色の瞳を持って、ギリシャ彫刻が歩いているような長身の持ち主。
あたしですら、日差しの中に、書庫をバックに彼女が佇んでいるのを見れば、良く、はっとさせられる。ここは、ひょっとして、美術館の内部ではないのか、って。
その、彼女の唇から、微笑が消える。空から太陽が消えたよう、いえ、厚い雲に隠れたような気がする。
あたしがラエラの信奉者だと思う人もいるかも知れないけれど、あたし達は小さな頃はよく、ドーナツを、オニオン・リングに取り替えてもらう仕事に従事していたものだ。
厨房の人には黙って。
いまだに、その内の何回かは、確実にばれていない、あたし達の仕業だとは、と思う。“学校”でも“寮”でも、良く有る悪戯だったし。ドーナツは、一杯あるのだ。オニオン・リングも。
“学校”では、概して優等生(複数形)だったし。
どんなに美人になって、一見、天使か女神のような外見になっても、あたしは、彼女の事を良く知っている。あたしのチキン・ステーキに、よそ見している隙に、シナモン・シュガーを振りかけたのだ。ホワイト・ペパーにしてくれれば、良かったのに。
『あーら。ルウ。それ、食べられるの?変わったご趣味ね。』
だって。思い切り、顔を引っ掻いてやったものだ。悲鳴を上げて、小悪魔ラエラは逃げ惑った。痛快。
その夜は舎監からの説教の後、二時間のお祈り。その後、(これだけは、周りにも厨房にも申し訳ないと思った。)二人だけで、夕食の時間のやり直し。チキン・ステーキは…味付けし直してあった。
その晩は、二人とも、反省室に入れられたけれど、原因は彼女だ。ラエラが悪い。
本人はあたしが、“奉仕の時間”に、草むしりをしている自分を尻目に、礼拝堂の破風の真横、ステンド・グラスが日に照り映えている様を見て、ボーっとしているからだ、なんて、反省室の中で、ぐずぐず、言っていたけれど、あたしの意見は違う。
あの日の“奉仕の時間”は明らかに、礼拝堂の掃除をやるべきだったのに、責任者の尼僧が一人、急な出張で、鍵を持って行ってしまったのだ。予定表まで作っていたあたしは、肩透かしを食らった格好になった。どうしてくれる。
とにかく。あたしは、長い事、ラエラに付き合って来た。それこそ、近くの普通高校の生徒二人とのダブル・デート(コース?映画と喫茶店、ダンス・ハウスで踊りと食事。はい、おしまい、よ。楽しかったわ。男の子達は、当然のように、『奢るよ。』を連発したし。…あたし達が、その全てに、『YES。』と言ったと思わないでね。学生同士だもの。フェアに行きたいわ。)もね。言いだしっぺは、大抵彼女だ。お陰で、砂糖を入れないコーヒーの味も覚えた(大人ぶりたい年頃だったのよ。未だにコーヒー=ゼリーは、あたしの好物だったら。)。
そのあたしが言うのだ。ラエラから微笑が消える。その日は、一日が、曇り、曇天なのだ。
もっとも、任務の性質から考えて、やたら晴れまくった青空の下よりは、何だか上手く行きそうな気がする。緊張感も何が無し、持続してくれているみたいだし。コンセントレーション。集中して当たらなきゃ。やっぱり、ラエラは役に立つ。
そして。あたしも。
その日は朝から、“基地”内が騒がしかった。
私用ブロックに所属する、個人使用エリアのあたし専用の寝室で、当然の権利として睡眠時間を貪っていたあたしの夢の中にすら、言葉を話す、絢爛豪華な羽と声を持った小鳥達の会話が入って来た。
曰く、
『っぱり、心配だ。』
『待って。あたしも、行く。』
『予定は、今日なのよ・・・・う、・・えても。。だから・・。』
『すでに、われわれだけの、・・・だいでは・・・のか・・・?』
緑色の服を着た、メッセンジャーがいて欲しい。夢の中であれ、切実に思うのは、こんな時。
背中に羽根を生やして、軽快に基地の廊下を飛び回り、情報を素早く収集し、その後、(特にさし許す故によって)この部屋に来て、携帯用のホワイト・ボードに5W1H(What何が、Where何処で,Whenいつ,Who誰が,Why何故,How如何にして)を箇条書きに書いて、あたしに説明してよ。何が起こったのか。或いは。
起こらなかったのか。
根が短気で小心なせいか、こう言う思わせぶりな“夢”が、一番困る。
ぐずぐず、寝返りを打つ、と、朝の光がカーテンの隙間から差し込む、丁度其処に、頭が乗っかった格好になるらしい。枕の上で、今日の天気を悟る。まっさらの上天気。
シスター・ディスカスが、喜ばれるなあ。あの方、洗濯と、ガーディニングが大好きだから。
金髪に蒼い瞳のまだ、『尼さん』と呼ぶよりは、『お嬢さん』と呼びたい、小柄でほっそりしたシスターの笑顔を思い浮かべながら、もう一回、寝返り。
“基地”を作った時には、責任者は思いもしなかったろうなあ。小鳥(本物、因みに複数種類)の声に起こされる朝なんて。
結果的には、人里離れた所に建設したせいで、緑豊かな、ガーデナー志望者もそうでない人も、日々草むしりと、名前も知らない雑草や昆虫の侵入に悩まされる毎日が遣って来た訳だが。
あたし的にはOK。野茨にハニー・サックルの繁み。大歓迎よ。ハーブ。・ガーデンだって、嫌いじゃないの。レモン・バームやカモミールの豊かな匂いったら。くんくん。
と。いきなり、目の前が、ハーバル・グリーンを通り越して、ディープ・グリーンに輝いた。いや、点滅した。それも、クリーム・イエローと代わる代わるに。
悪趣味。て言うか、これで、あたしの視界を乗っ取った積りだから。
本人、PK脳波の軌線をトレースされないように、上手く、マトリクスをごまかした積りだろうけれど、そうはいかない。こんなこと、この、ルウ様に、敢行して下されるのは、どちらの王女様だってんだ。
直接、目を閉じたまま、相手にアクセスする。ついでに、何かショッキングな画像を、本人の大脳皮質にまでとっくり焼き付くようにしてやろうかと、思ったんだけれど。
考えて見れば、それも大人気ない。最高の、このあたしの、エルドリス=エルゼリ=グレースンの笑顔を持って、歓待せんと、欲す。うむ、美しや。
〖あのね、ハーブ・ガーデンの収穫が、いつ、あんた中心になったのよ。シスター達じゃなくて。何、周り中笑顔の、この画像。あんたも笑顔で、ラベンダーを折っているけれど。〗
心なし、ぶすっとした、我が幼馴染の顔が、前頭葉近くに閃く様に、開いた。それは、何と言ったらいいのか、脳に直接届けられた、動画画像に他ならない。
同時に、これは、本人の個性そのもの、とでも言うのか、“聲”が、届けられる。“力”の程度によっては、肉声と丸っきり、変わらないので、何度注意しても、遠隔地同士の会話になれない人間は、其処にいもしない人間と話すような動作を、繰り返し続ける。・・・非常に、危険である。
とにかく、あたしも、ラエラが、寝ぼけがどうたらと言う前に、とにかく、返事はする。
〖何よ、ラファエラ。朝早いじゃない。さては、ふられたな。〗
〖はっ!パターン。本気でワン・パターンね。あんたって、子供の頃より、それしか、思いつかないの?〗
〖眠いのよ。この美しかるべき朝に、あんたに、叩き起こされたくないの。〗
『ないの。』の『の』の部分に、目一杯、力を込めて、“発音”する。
《叩き起こす》理由が有れば、別である。それは、二人とも、解っているのよね。
まじめに、この“聲”は、朝の醒め切らぬ脳に、突き刺さるような気がする、ヴィヴィッドと言うか、リアル、とでも言うのか。静画像、いや、写真画像か?に、レタッチ・ソフトでシャープの効果をかけた感じ、とでも言おうか。
〖どうしたのよ?〗
あたしは、訊いた。今度は、真面目に。
それに答えて、圧縮して、ラファエラがあたしに直接送った情報は、寝返りをしながら、あたしが得て、そして、当たって欲しくなかった方の予想の、リピートに他ならなかった。
〖と言う訳で、多分、“あたし達”の誰かに“お呼び(コーリング)”がかかるから、一応、起きてよ。ルウ。〗
あたしは、溜息を付いた。“義務”の無い、平和など有り得ない。それは、解っている積りだった。
〖今度は、ヴァネッサとヤヌーシュね。きっと、そうよ。〗
〖かもね。〗
どうでもよさそうに、ラエラの“聲”が応えた。
予測は、外れるために、有るってか?あーあ。
しかも、当たって欲しくない“予感”と言う奴は当たるし。
こうなれば、予知レベルかもね。真面目な話。
/to be continued....
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