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幾つになっても、一日、埃と汗にまみれたその後に、家路に着くのは楽しいものだ。
夕陽に肩を焼かれながら、腰までの木製の門を開く。蔓薔薇が生い茂った庭の、丁度見える場所で、女性が一人、草むしりをしていた。
「ただ今。」
声を掛けると、さも意外そうに立ち上がった。
「あら、もう、そんな時間?早いのね。」
「まさか、お昼から、ずっと、やっていたのかい?」
母は手を振って否定した。
「お茶の時間の後に、ちょっと、やる気だったんだけどねえ。知っているでしょう?やり出すとあれもこれもと、浮かんで、きりが無いのよ。」
一緒に歩いて、家の中に入りながら、母は言った。言い訳している風ではない。楽しそうだ。
女性の趣味としては、ガーデニングはトップクラスに入るそうだからな。最近では、野菜以外も増えているし。
特に庭の薔薇は母どころか、父の自慢ですらある。
お茶を飲みながら息をついていると、工場から父が帰って来る。いつも通り、肩から首にかけたタオルで汗を拭いながら、居間に入って来た。
「今日は、お前の方が早かったな。」
日に焼けた顔で言うと、例によって真っ直ぐ、長椅子に置いてある新聞を手に取った。
置いたのは母だ。最近では、それ以外の場所に置いてあっても、それと気付かないらしい。
長い間の習慣とは怖ろしい。
こつん。軽く、何かが頭の後ろに当たった感触に、慌てて、振り返る。
「何をするんだ、お前は。」
わざと、声を荒げた素振りを見せると、妹からはふくれっ面が帰って来た。
「鳥籠を直してくれるって言ったじゃない。お兄ちゃん。」
「直さないとは言ってないだろう?休みの日まで待ってろよ。」
「休みって、いつよ?」
ポニー=テールが不満たらたら揺れている。吊り上げられた眼が、それでも少し、下がっている所を見ると、しめた、これは、待っていてくれそうだ。
「週末。材料も買って来るからさ。道具は揃っているし。」
「本当ね?」
そうこうする内に、温かな湯気と一緒に、食欲をそそる良い匂いも運ばれて来た。
「さあさあ、二人とも。お食事前のご挨拶は済みましたかしら?」
「済んだとも。お前。」
新聞を顔の前から降ろして、畳みながら、応じたのは父だった。
ぶーぶー言うかと思いきや、さすが女の子は大したもので、もう、テーブルの前でお祈りを始めている。だから、僕も、手を組んだ。
お腹が一杯のままで床に入る前に、週末の予定を頭で組み直す。父が馬車を出してくれると言うから、妹か母のどちらかを、あるいは両方を、乗せて、街の大きなショッピング・センターで鳥籠の材料を買う。夜には、家族皆で劇場に出かけられるだろうか。
星を数えながら、色がどうの、材質は、軽くて良くしなる方が良いかなどと考えていたら、やがて眠気が差して来た。
夜空におやすみなさいと言うのも、何だな。と、思いつつ。
僕は、思いなおした。家族全員に、それぞれ、一回ずつ、お休みと言ったのだし。星空に言うのも、たまには、良いものだろう。と。
お休み。
朝。眼を覚ました時。
僕は、重大な発見をした。
僕は、広大な荒野のど真ん中、硬い大岩の上に、一人で眠っていたのだ。
楽しい夢から醒めて、今日の予定は、出勤する時間はと考えながら、目を覚ませば、天井どころか、ベッドも、部屋も、馬車も、そして。
家族さえ、消えていた。
かっ。と、照り付ける仮借ない太陽の下、呆然とする頭を抱えて、ふらふらと二三歩歩く。
僕は、一人だった。父は、母は、妹は?
何処へ、行ってしまったのだろう?
オズの世界へ飛ばされた、ドロシー?僕が?
いや。待てよ。
「待てよ。」
僕は、声に出して、疑問を言葉にして見た。そうすれば、何かが分かる気がしたのだ。
そうだ。そうとも。
僕に、両親はいない。
生まれた時から天涯孤独だった僕に、両親などいる筈が無い。
妹・・・・?妹だって・・・?!
勿論、兄弟など、僕にはいないのだ。
証拠は?僕が、狂っていない証拠が欲しい。
どちらが本当だ?鳥籠は?ショッピングセンターに行って欲しかったのは、誰なんだ?
煮えたぎる頭をもてあましていた時だ。砂交じりの風の中、遥か遠くに、幾つもの灰色の影が立った。
僕は、息を呑んだ。影は、影達は、動いていた。
しかも、こちらに向かっている。先頭の幌馬車に乗った御者が、こちらを、つまり、僕を指して、何か言っているのまで、分かった。
何と無茶なと言っているのだろうか?
何でもいい。この状況から、脱出出来る。
僕は、シャツを脱いで、大きく振った。
あからさまに、反応が違った。何やら、右往左往している。らくだの声。それも、幾つも。
これは、相当に大きなキャラバンだ。
次に、声を出して見た。
「おーい・・・・。」
胸を衝く思いに駆られ、声は大きくなる。
「助けてくれ。遭難した・・・・・。」
それが良かったのか、僕の内側から誰かが(多分僕)、僕に言った。
“妹や、両親のそれぞれの、名前を言ってご覧?”と。
結論から言うと、見当も付かなかった。
“そうだろう。”
僕の内側の僕は、満足気に頷いた。少し、悲しそうだった。
キャラバンはますます、近付いて来る。先頭の男が馬車を降りて、走り出した。手に持っているのは、水筒か?
僕の視界はぼやけ、シャツを持ったまま、立っているのが、精一杯だった。
がらがらがらがら。
馬車は行く。次の交易地まで。ひた走る。
御者席の隣も、この長旅の中では、結構すわり心地が良い。何より、風の当たり方が違う。
「あと、埃の眼に入り方が、な。」
ぼそっと、御者席の男(僕に、水筒の水をくれた男だ。このキャラバンの、上から数えた方が早い位、偉い人。)が言った。
「僕の話、信じてくれましたか?」
僕は言った。信じなくても、無理は無い。
分かっている限りの事実だが、僕は、確かに、天涯孤独だ。実の両親は、幼い時に、流行病で亡くなっている。
生まれ育った街を、交易商人と一緒に新天地を求めて旅立ったのだが、乗っていたラクダが、怪我をして、皆から遅れ、気が付いた時には取り残されていた。
そう、そこまでは、思い出す事が出来た。。
交易商人達は、もう、僕の事は、死んだと思っているだろう。
僕は、青い空を見上げた。今日も天が高い。これだけは、世界の何処に行っても変わらないものなのだろう。
「俺達が、あんたを発見するまで、あんたは、一人では無かった、と、言うんだろう?」
うーん、と、首をひねりながら、腕を組む。妙にはらはらさせる仕草だが、少し位、手を離しても、馬は勝手に歩を進めるんだそうだ。
また、そう言う馬が、良い馬なんだとか。
「ええ。無理かも知れませんが。」
「発見された時は、健康そうにも見えたし。医者は特に悪い所は無い様に言っていたし。」
そうなのだ。このキャラバンには医者がいる。もっとも。彼もまた、立派な商人でもあるのだが。
やれやれ。走り使いでも、こんな大したキャラバンに拾って頂けて、本当に有り難い。
「し?」
プラスアルファが有るらしい彼の口調に、僕は隣に向けて、首を傾けた。
「お前さん、拾われた時に、日付を聞いて、吃驚していなかったかい?」
「ええ。」
「どう、計算しても、お前さんが 以前の商隊からはぐれて、俺達と合流するまでに、一週間は経っているんだよ。」
「一週間。」
僕は、口の中で繰り返した。
「一週間、お前さん、たった一人で、どうやって、暮らしていたんだい?」
と、言った後、彼は、あー、と呻いて、器用なことに、ターバンの上から頭をぼりぼり、かきむしった。
そうして見ると、妙に若々しく見える。
「さあ・・・・?」
僕は、オアシスが近いのだろう、白い雲が流れていくのを見上げ続けた。
涙が零れないようにする為だ。
「一人では、無かったのかも知れませんね。」
風が強くなって来た。もしやして、僕の言葉は彼には聞こえなかったのかも知れない。
いや、そんな筈は無い、と思っても、彼の返事は、なかなか、返って来なかったのだった。
一週間。何が僕を、守り、面倒まで見てくれたのか、僕は、これからの一生を、考え続けていく事になるのだろう。
砂嵐の中に失った、僕の、蜃気楼の家、幻の家族と共に。
* The End *
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